「寛容のパラドックス」というお話。
「もし社会が無制限に寛容であるならば、その社会は最終的には不寛容な人々によって寛容性が奪われるか、寛容性は破壊される」
不寛容側が「わがまま」「身勝手」「自己中心的」「横暴・横柄」な自分勝手な人とすると、寛容側は「わがままを許す」「身勝手を我慢する」「自己中心を受け入れる」「横暴・横柄に耐える」ことができる優しい人な感じでしょうか。
寛容な人が、不寛容な人の要望に応えて、相手が満足できるように合わせて、ひたすら自分を変えていく。極端な話、DV夫に耐える妻、DV妻に耐える夫のような感覚だとすると、寛容側はいつか耐えられなくなって心と体を壊す、あるいは関係が破綻して、離婚、離れることでしか解決ができなくなりそうですよね。
寛容な人が不寛容になるか
不寛容な人が寛容になるか
逆に、寛容な人同士、不寛容な人同士の方がうまくいきそうかも。